丸森災害ボランティア

台風19号の被害はわが家の周辺に留まらず、
全国各地に深い爪痕を残しました。

その中でも宮城県南部の山間にある丸森町の被害もまた壮絶なものでした。

丸森町の惨状

丸森町は私が拠点を置く山元町の実に山を挟んだ隣町で、山元町で活動を共にしてきた仲間の中にも幾人かの丸森町民がおりました。

そんなことからオーナーからの相談も受けて、わがコージーハウスを災害支援ボランティアの拠点とすることになりました。

ボランティアの足がかりにしてもらったり、
支援物資を集積したりといった具合です。

その初期段階、コージーハウスに泊まってボランティアセンターの立上げに奔走していた友人から、「向井さん、行ってもいいけど、行けば絶対通い詰めることになるよ。だって震災当時の山元町とまったく同じだから」そう釘を刺されながらボラセン立上げのお手伝いに出掛けた訳ですが、確かにその言葉の通りとなりました。

それから10,11,12月、年明けまで、私は結局毎週のように丸森町に通い、一般ボランティアの皆さんと一緒に、或いはオープンジャパンという特殊技能を持ったボランティア集団と一緒に、或いは友人の依頼で奥深い集落を訪ねたりと、様々な形で丸森町と関わることになりました。

ボランティアの皆さん

丸森町では、阿武隈川に注ぐほとんどの支流、その支流につながるほとんどの水の道で氾濫が起こり、豊かな水に囲まれる暮らしの全てが破壊されました。

移動すればする度に新たな被害を目の当たりにすると行った有様で、その災害の大きさと奥深さに慄然とする想いでした。

被災地ではまた本当に多くのボランティアの皆さん、
被災者の皆さんと出会いました。

ボランティアセンター

分けても地元から重機を回送して、車中泊しながら活動する同業者の皆さんも多く、本業はどうしてるの?とお互いに心配し合う始末でした。